随分と時間が経っているのだけど頻繁に思い出す出来事。
あの嵐の翌日、突然次男(5)が三択クイズを出してきた。
「たっちゃんは昨日泣いていましたがそれはどうしてでしょう?」
とだいたいそんなことを言った。
「1.嵐が怖くて泣いていた
2.嵐が遠くに行くように神様にお祈りしていた
3.なし」
3番が斬新だが答えは2番だった。
お祈りをしていた、泣きながら、遠くに行くように。
本当に祈ったら涙が出るんだな、と思った。
出るんだよな、と思った。
祈りの力を試すべくイベント前の一週間は念じていた。
台風は秋雨前線に変わって予定通り初日に雨を降らせた。
雨なのが完全にダメだとは思わないけど子供がジッとしていられないんじゃないかと思って『過ごしやすい天候でありますように』だったのだが一晩設置したテントは水滴で内側も濡れていた。
何とか在庫を運び込んで開店の準備をしつつ自分たちの居場所を確保したが地面はジッとりした。
家族経営の的屋のような気分でゴニョゴニョ蠢いているバックヤードというには見えちゃってるスペース。
夕方まで天気の割には見てくれるお客さんも多くて嬉しかった。
な~と思っていると段々と雨脚が強まっていき雨が入ってくるのでもうそろそろ終わりかとテントに蓋をしたPM6。
突風が吹いてテントが浮いた。
ちょっとそれが続いたのでみんなして必死に押さえた。
足を短くしてどの位時間がたったのか分からなかった。
子供たちはすごいビックリしていた。
そんな中、一番下の子はお母さんにおんぶ紐で抱っこされて寝ていた。
段々静かになって文字通り嵐が過ぎ去った。
その後、それが竜巻だったと聞くのだけどそれよりも安堵感の中、聞いた坂本慎太郎さんに満たされながら一旦家路に着くのでした。
遊び場にお風呂があるのもすごく良かったです。
過ごしやすい天候では無かったが本当に運が良かったなとあとあと思います。
本当に貴重な一日でした。
ありがとうございます。
更新しなければな…と思ったのは前はぼちぼち頻繁に連絡を取っていた友人と
久しぶりに連絡を取った際にブログで調子が悪そうだったから連絡しなかった的な事を言われ
調子の悪いときに書いたブログをそのままにして調子が良くなった時に書かないでいた場合にずっと調子が悪いままになってしまい、良くないなと思ったからである。
今年は本当に何度も何度も大変だったので本当にこれで終わりかな?と疑ってしまうのだけどここ最近は家族みんな病気もしておらずハッピー。
健康であることが幸せなのは不健康の連鎖を経験しているからでずっと健康だとそれを忘れてしまう。
そういう意味で僕は自分に厳しいというよりはとにかく満足しないような感情に陥っていると感じる。
折坂悠太『坂道』における「目的を通り過ぎた」状態にあるのかもしれないと思った。
最近見た動画で開運インストラクター?みたいな?何かしながら聞いていたので?申し訳ないが?そんな感じの人が言っていた内容を自分なりに要約すると『本当の感謝に至れば開運する』なんだけど、本当の感謝に至るのは相当難しいのではないかと思うのです。
いうなればそこに向けての修行です。
一切矛盾のない感謝があるはずなんだよな。
現段階で矛盾しているし一般的なレベルの感謝にも至っていない気がする。自分は。
ひとまずそんなことはさておき非常に元気な状態にありますので引き続きよろしくお願い申し上げます。
昔聴いていたellsを聴いて出勤しようとしたらバイパスの入り口でつんのめって
ヤバそうなのでちょっと逆走してUターンした。
残された150号線は通行止めてで詰んだので時間をずらそうと連絡をしたんだけどこんな日は引き返した方が良いに決まっている。
なんかね、ここから先の世の中を暗示するようなそんな朝だった。
自ら頭を働かせないと遅れてしまうのはもちろんだけど
それって誰かに任せている時に生じる。
信頼している人がいるのかもしれないが壊れた車のハンドルを持っていると言ってもいい。
違うな。ただ単純に無責任なのだ。
自分が決めない事によって責任を感じない。
言い出しっぺが損するようなそんな感じ。
でも言い出しっぺはもう責任を感じないが得策だと思います。
それだけの事はもうしているだからそんな事は気にしなくていいのだと世の中の言い出しっぺに言いたいです。
アイデアを出して尚、ストレスを感じる必要は何もない。
責任は何もありません。