5月6日の下書きが残っていたんで更新しようと思います。
僕は知っている。
マジでバリスケする僕より歳の多いおじさんが居る事を。
マークゴンザレスやジェイリースーの事だ。
と思って歳を調べたらジェイリースーは一個下。
もちろん近くにだって沢山いるんだ。
リアルでディープ、アイラブユー。
5月6日の下書きが残っていたんで更新しようと思います。
僕は知っている。
マジでバリスケする僕より歳の多いおじさんが居る事を。
マークゴンザレスやジェイリースーの事だ。
と思って歳を調べたらジェイリースーは一個下。
もちろん近くにだって沢山いるんだ。
リアルでディープ、アイラブユー。
これらは3月の写真。
そんな4月はもう終わりそう。
すっかりやる気を失っているブログは息もたえだえ瀕死の状態で続いているように見えますか?
陸の孤島みたいに感じていた方が僕は楽しかったのかもしれない。
それに見合った感想は聞くことは出来ない。
最近は新たな習慣を取り入れてそれは結構調子が良い。
それから『答えは全部言わない方が効果的』なのを思い出した。
本当に意味のあることをしたい。
どこに何を積み重ねているか少しは見えるようになってきたこの頃、望む者には与えられ怯える者は自分の想像を超えた結果は与えられないと思う。
でも望む者も怯える者も怯える者は一まとめにしてしまいたいのだと感じた。
どのぐらいやりたいのか。
自分に聞いてみる必要がある。
2月の初旬に行われた掛川の凧揚げ大会とそこで作った長男の凧の写真です。
色々な大きな凧が高々と上がっていて雄大でした。
愛知の方からも愛好家の方が来られておりセミだこと呼ばれる小さい音のなる凧を挙げていて面白かったです。
構造もすごく考えられていて秀悦でした。
近くの倉庫でやっていた凧のワークショップで子供たちは凧を作らせてもらい凧揚げしていました。
みんな楽しんで作っていて良かったです。
一度書いたブログは急に恥ずかしくなって下書きにそっと戻したのち、今書き直している。
ご来場いただきましたすべての人たちに感謝します。
子供も沢山来ていておじさんたちもいてすごく良かったです。
完全に説明が足りていない会場でしたがトラブルもなく天気も過ごしやすい天国のような日だったと思います。
一回目からの積み重ねがありつつ今回焼き芋焼きシステムとイモ車を親君と二人で作りました。
焼き芋はまあまあうまく焼けたしイモ車はウケたのではないでしょうか?
そもそも準備が楽しかったように記憶しています。
文章化するのは正確でないし一つの場所にいても感じることはみんな違う。
エクスペリエンス
単純で分かりやすい。
だからまたそういった場所を作りたいなと思います。
その時は遊びに来てください。
先々週の土曜日から長男、そして日曜日から母親が立て続けて体調を崩したので月曜日、僕と次男、次女は病院の駐車場で二人が帰ってくるのを待っていた。
長女は学校へ行った。
買って間もないデビッド バーンの新譜を聴いていると携帯電話が車内で鳴った。
それは週に2回勤めに行っている会社の同僚からだった。
勿体ぶらずに話をするとつまりその日の朝、会社で火事が発生し我々が作業をしていたスペース及び倉庫が燃えたという報告だった。
その火はこちらにも飛び火して少し僕を焦がした。
そうしている内に妻子が院内から戻ってきて「インフルエンザA型だった。」と言ったのだがこちらはもう焦げてしまっているので何とも思わなかった。
そんなこんなで会社には僕が出来る作業がないためその週はお休みとなったのだが看病に相まって火曜から僕もA型の仲間入りを果たしたのだ。
そんな先週を経てA型から普通のO型に戻ったのち、会社からも復旧作業に入り出社の要請が来た昨日。
なので安心していただきたいのと一瞬でもざまあみろと思ったこのブログの変わった読者に言いたいことが今日はあります。
何かが現実的に始まっている。
僕はこれら一連の流れを何かの警告だと受け取っている。
何か…。
それは日月神示的に言うところの大峠の時。
大分読んだあの聖典は要約すると我々に反省や自分を見つめなおすように促している。
そして本当にその時が来た時、切り抜けていけるような強い心を作って置くように進めているように僕は感じている。
今回色々な角度から、そしてここに書いていないそのような事柄から僕は自分の通常の生活が脅かされているように感じた。
実際はにそうならなかったし、脅かされた時の想像は次のステップにまで進めることが出来た。
それは神様という存在が自分の中心をそちらに移行することを可能にしているからだ。
極個人から全体へと感覚を広げることでそれがただの出来事の流れとして受け止めることを可能にしている。
流れなので必ずその先がある。
乗り越えるしかないという選択肢はある種の覚悟を産む。
具体的に反省とは御霊磨きとはなんなのか。
一部においてこんな考えが出来ると思う。
罪は神様しか赦すことができない。
なぜなら殺されてしまった人はもう殺してしまった人を赦すことは出来ませんよね?
殺人に限らず本当に罪を赦すことは人間にはできない。
だから罪を清めるためにはマインドにおいて神様に赦しを乞う事しかできない。
それを大半の人がしていないという事は穢れているという事なんだと僕は思います。
なんか最近僕みたいなマインドに陥った人が居たらここはラッキーだと思って反省の入り口だと思って入ってみてほしいです。
僕が大好きなALEX KASSIANのSpirt of Edenて曲が入っている12inchの帯に小さくかなり分かりづらいのだけど達磨のイラストの横にこんなメッセージが書かれていた。
”どってことないやないか こけたらたちあがるだや”
10月末に参加したOTANOSHIMI MALLの上記写真を下書き状態にしたまま危うく一か月がたとうとしている。
僕も家族も楽しかったのでブログにと思ったところまでは良かったのだけど温めなおす事が出来なかった。
ほんで今夜はあっちから来た暴走族のブンブンが行って帰ってくるほど目がさえて寝れない夜。
今は3:45AM。
裸眼の目を細めてタイプしている。
あのOTANOSHIMIの時間を思い出している。
逆に第一回目の護国神社、手作り市に参加した時のことを思い出した。
それは完全に浮いていたから。
そして今回は浮いていなかったからである。
あれだけPOPが重なればDEEPなのではないか?
あとBGMがちゃんと所謂BGMな感じで良かった。
そんで何よりYAMASTOREの二人に会えて良かったです。
ありがとうございました(ステレオ)