元気にやってます。
2026年2月11日水曜日
2025年11月27日木曜日
あれからなんか寝れないままなんだ。
先々週の土曜日から長男、そして日曜日から母親が立て続けて体調を崩したので月曜日、僕と次男、次女は病院の駐車場で二人が帰ってくるのを待っていた。
長女は学校へ行った。
買って間もないデビッド バーンの新譜を聴いていると携帯電話が車内で鳴った。
それは週に2回勤めに行っている会社の同僚からだった。
勿体ぶらずに話をするとつまりその日の朝、会社で火事が発生し我々が作業をしていたスペース及び倉庫が燃えたという報告だった。
その火はこちらにも飛び火して少し僕を焦がした。
そうしている内に妻子が院内から戻ってきて「インフルエンザA型だった。」と言ったのだがこちらはもう焦げてしまっているので何とも思わなかった。
そんなこんなで会社には僕が出来る作業がないためその週はお休みとなったのだが看病に相まって火曜から僕もA型の仲間入りを果たしたのだ。
そんな先週を経てA型から普通のO型に戻ったのち、会社からも復旧作業に入り出社の要請が来た昨日。
なので安心していただきたいのと一瞬でもざまあみろと思ったこのブログの変わった読者に言いたいことが今日はあります。
何かが現実的に始まっている。
僕はこれら一連の流れを何かの警告だと受け取っている。
何か…。
それは日月神示的に言うところの大峠の時。
大分読んだあの聖典は要約すると我々に反省や自分を見つめなおすように促している。
そして本当にその時が来た時、切り抜けていけるような強い心を作って置くように進めているように僕は感じている。
今回色々な角度から、そしてここに書いていないそのような事柄から僕は自分の通常の生活が脅かされているように感じた。
実際はにそうならなかったし、脅かされた時の想像は次のステップにまで進めることが出来た。
それは神様という存在が自分の中心をそちらに移行することを可能にしているからだ。
極個人から全体へと感覚を広げることでそれがただの出来事の流れとして受け止めることを可能にしている。
流れなので必ずその先がある。
乗り越えるしかないという選択肢はある種の覚悟を産む。
具体的に反省とは御霊磨きとはなんなのか。
一部においてこんな考えが出来ると思う。
罪は神様しか赦すことができない。
なぜなら殺されてしまった人はもう殺してしまった人を赦すことは出来ませんよね?
殺人に限らず本当に罪を赦すことは人間にはできない。
だから罪を清めるためにはマインドにおいて神様に赦しを乞う事しかできない。
それを大半の人がしていないという事は穢れているという事なんだと僕は思います。
なんか最近僕みたいなマインドに陥った人が居たらここはラッキーだと思って反省の入り口だと思って入ってみてほしいです。
僕が大好きなALEX KASSIANのSpirt of Edenて曲が入っている12inchの帯に小さくかなり分かりづらいのだけど達磨のイラストの横にこんなメッセージが書かれていた。
”どってことないやないか こけたらたちあがるだや”
2025年11月23日日曜日
OTANOSHIMI MALL おたのしみモール
10月末に参加したOTANOSHIMI MALLの上記写真を下書き状態にしたまま危うく一か月がたとうとしている。
僕も家族も楽しかったのでブログにと思ったところまでは良かったのだけど温めなおす事が出来なかった。
ほんで今夜はあっちから来た暴走族のブンブンが行って帰ってくるほど目がさえて寝れない夜。
今は3:45AM。
裸眼の目を細めてタイプしている。
あのOTANOSHIMIの時間を思い出している。
逆に第一回目の護国神社、手作り市に参加した時のことを思い出した。
それは完全に浮いていたから。
そして今回は浮いていなかったからである。
あれだけPOPが重なればDEEPなのではないか?
あとBGMがちゃんと所謂BGMな感じで良かった。
そんで何よりYAMASTOREの二人に会えて良かったです。
ありがとうございました(ステレオ)
2025年10月7日火曜日
受信はしているかもしれないが通信していない
あれに見えるは我が家のアンテナの影。
テレビは無いのでの受信しているのかもしれないが通信はしていない。
ここのところの送った通信はどこかで跳ね返されているのか折り返しがなく不思議だったのだが、その停滞は形を変えて違うところから返信が来たりして本当に不思議。
もしかしてこれを見ているのかい?
まず、言わせてくれ。
形を変えた返信達に僕は感謝します。
ありがとう。
古くからありがとう。
嬉しいです。
そしてここの文章でただ判断を下そうと、それが誰に向けたものか、どういう意味か確かめもしないで分かった気になっている人たちへ、聖書の最初の5ページをめくってくれ。
あなたたちは蛇に騙されて果実を食べたイブなりエバなりである。
なぜなら最近のこれらはただ酒に酔って書いているだけだからだ。
2025年10月5日日曜日
最近思い出したこと
多分5歳ぐらいの時に一度引っ越しをした。
兄が小学校に上がるタイミングで親父の実家へ戻った感じだ。
幼稚園へは行った記憶がないのでそこで僕は野良の幼児として自転車を乗り回していた。
自分が一年生だったか入学する前だったか忘れたのだけど近所に住んでいた学校の先生がいてその娘(一つ下)に猛烈アタックを食らったことがあった。
多分、それを親は面白がって(今ではなんとなくその気持ちは分かる)僕らを遊ばせた。
言語化しがたいのだけどディズニーアニメにおけるハートを量産するメスの豚のキャラクターのように迫ってくるので『おえっ』となってしまった。
うちの畑のヘリのブロックに座って早く帰りたかった。
これが最近思い出したこと。
そうやって迫ってくるものを心地の良いものと感じれない場合があるのはその頃から変わっていないのだなと思った。
それが今にも影響している自分の難しい性格を形成していると思う。
2025年10月2日木曜日
、
九月が通過したのを今日感じた。
ブログを何も書かなかったから。
ギリSNSでその通過の速度を遅くさせている錯覚をしているだけで実際は変わらない。
それは形容詞で装飾したとして事実は、現世は、何も変わらないのと同じだ。
読点は打てども句点は打てず。
この時間の流れは読点の連続であり、息を引き取ってやっと句点が打てる。
本当はその打つすべての句点が嘘なのだと思う、
そして、うんざりしているのだ。
2025年8月20日水曜日
8月現世
色々な考えを描きたいな思いつつも難しさ、怠慢と戦っております。
ちょっとでも何かから落ちないように、想像力の理想像、何かそれは子供たちと変わらない。
どうしたら楽しく生きれるか僕はまだ分からない45最。
それは子供たちと並行して、寄り添っていけるダンスフロアの音楽の様だ。
自分でかんがえるろ。

