シナリオが描けた。
ここまで来なければ決まらなかったことが次々に決まっていく。
その時にならなければ動かない事がある。
取越苦労はするな、心配りはしろ。
流れに身を任せるなり。
○と×
蟹泡
A.S.I
ゆよ
社
ご神木
スーパーレア
その他、仕掛けられるだけ仕掛ける。
使えるだけの知恵を使って出現させる。
あるだけの労働力。
自ら進んでやる力。
写真は嫁の実家。
最近は畑を借りています。
シナリオが描けた。
ここまで来なければ決まらなかったことが次々に決まっていく。
その時にならなければ動かない事がある。
取越苦労はするな、心配りはしろ。
流れに身を任せるなり。
○と×
蟹泡
A.S.I
ゆよ
社
ご神木
スーパーレア
その他、仕掛けられるだけ仕掛ける。
使えるだけの知恵を使って出現させる。
あるだけの労働力。
自ら進んでやる力。
写真は嫁の実家。
最近は畑を借りています。
ここにきて風邪をひいてしまった。
このタイミングだったからまだ良かったかな?
しかし準備の山場と見込んでいた今日は少々しんどい思いをしている。
今回の土の庭は以前から温めていたアイデアが幾つか形になった。
今日出来上がったモノはそれほど前に思いついたアイデアでは無いけれど総柄を除けば今までで一番と言っていいほど大きなプリントでちょっとミスって凹みそうになったのだけど修正が出来てほぼ完成像が見えると気分が高揚した。
なんかこれがアートなのかどうかは別としてこの高揚感に救われた気持ちになる。
それは誰かに評価されるとか以前のただ単純な自己満足だ。
もしもこの瞬間が自分に無かったらと思うとちょっとゾッとする。
もやもやしてる人間に与えられた晴れ渡る瞬間。
凄く気持ちよくてベランダに飾って外から動画を撮った。
加えて考えるとこの気持ちは他人の作品からは感じれない。
滅茶苦茶カッコいいなって思う作品はあるのだけどその高揚感はない。
だからなのか世の中のアートに大して僕はアンテナを張っている訳では無いんだなと自分で思います。
人の作品が良いとか悪いとか判断する力は僕には無いと思っている。
半分は嘘だけど、つまりどうせなら無関心でありたい。
写真はあまり行かないラーメン屋に行った時の隣のテーブル。
フリーの梅干を店名になぞらえて残されたメッセージ。
よく考えるとキチャない。
いやはや人間も火と同じように燃え続けるのは難しい様で先日の夫婦喧嘩は鎮火した。
富士山に行ったのが良かったのかな。
往路で言っていた愚痴が復路では出なかった。
「島根の人はもやもやしてるからね。」
がこの日、印象的な言葉。
確かに自分はもやもやしてるな。と思った。
この日は特にそう思った。
そしてそんな訳で、もやもやしている人だと思ってほしい。
そして土の庭4。
4、四、よ、ヨ、世という訳で4回目にあたる今回はずばり『世界』がテーマ。
絞り込むはずが大きく広げてしまったこの何でもありのテーマで何が出てる来るのか?
過去一のボリュームのアートピースに加え、この山で取れた素材を利用して作ったドーム、
2/5オープニングレセプションのみ現れる屋台村、と見所沢山です。
毎回披露される完成度の低い演劇も今回もしっかり完成度低めでお届け。
まらさま神輿会は12:00、16:00 2回やります。(仮)
なんと現在、お神輿の担ぎ手募集中。
参加賞はふんどしです。
是非ご参加ください。
※駐車場、限りがありますのでなるべく乗り合わせでお越しください。
※天候により会場がぬかるんでいる場合があります。汚れてもよい履物でご来場されることをお勧めします。
本日は1/9。
今年も始まって9日が経つ。
なんかもっと時間が経ったような気がするほど激しく精神をすり減らしている。
これを書く前に年末に書いたblogを読んで恥ずかしい気持ちになってしまった。
非常に残念だけど3日連続で大事故をやらかしている。
年始早々書く話でもないのだけどもうこの際なので書いてしまおうと思ってタイピングしている。
喧嘩が辞めれそうだ。みたいなことをどうして書けたのか自分でも疑問だ。
絶対に難しい。というのが今の気持ち。
悟りを開くのは絶対に難しい。のと同じような気持ち。
あくまで例えば、「部屋の汚さを指摘した」時にそれは
妻には「私は間違っていて、あなたは全部正しい。」と変換されてしまう。
そうなると指摘した方が悪いという着地地点をができる。
つまり指摘が出来ない現象が起きている。
夫婦喧嘩はパターン化する。
上記「あなた全部」は最近のパターンで少し遡ると
「あなたが仕事を出来ているのは私が子供の面倒をみているから」という反撃が常習化していた。
しかしある日、僕も結構子供の面倒を見ている事に気が付いて喧嘩をしていない時に話をしたので言わなくなった。
いや言ってるか。
そういう事実と違う事をあーでもないとやり合うのは無駄だし、滅茶苦茶腹がたつ。
あくまで例えばの話、部屋が綺麗になればいいのだ。
それはじゃああなたがやってで折り合いが付けばそれで良いのだ。
今回はわたしが悪かったです。が言えない。聞いたことがない。
それ以前の指摘が出来ない状況が夫婦喧嘩を激化させている。
そして喧嘩している事をここにわざわざ書くのは話が通じなさすぎるストレスの発散です。
そしてモノには限度があるというプラカードが読めるか読めないかの距離に近づいてきているのも感じる。
新年の清々しさは過ぎ去ってしまった。
写真はセガーレと行った今年の初日の出とその帰り道。
今年の四文字熟語は
前途多難
めげそうです。