九月が通過したのを今日感じた。
ブログを何も書かなかったから。
ギリSNSでその通過の速度を遅くさせている錯覚をしているだけで実際は変わらない。
それは形容詞で装飾したとして事実は、現世は、何も変わらないのと同じだ。
読点は打てども句点は打てず。
この時間の流れは読点の連続であり、息を引き取ってやっと句点が打てる。
本当はその打つすべての句点が嘘なのだと思う、
そして、うんざりしているのだ。