2025年10月7日火曜日

受信はしているかもしれないが通信していない




 















あれに見えるは我が家のアンテナの影。

テレビは無いのでの受信しているのかもしれないが通信はしていない。


ここのところの送った通信はどこかで跳ね返されているのか折り返しがなく不思議だったのだが、その停滞は形を変えて違うところから返信が来たりして本当に不思議。

もしかしてこれを見ているのかい?


まず、言わせてくれ。

形を変えた返信達に僕は感謝します。

ありがとう。

古くからありがとう。

嬉しいです。


そしてここの文章でただ判断を下そうと、それが誰に向けたものか、どういう意味か確かめもしないで分かった気になっている人たちへ、聖書の最初の5ページをめくってくれ。

あなたたちは蛇に騙されて果実を食べたイブなりエバなりである。


なぜなら最近のこれらはただ酒に酔って書いているだけだからだ。


2025年10月5日日曜日

最近思い出したこと

 














多分5歳ぐらいの時に一度引っ越しをした。

兄が小学校に上がるタイミングで親父の実家へ戻った感じだ。

幼稚園へは行った記憶がないのでそこで僕は野良の幼児として自転車を乗り回していた。


自分が一年生だったか入学する前だったか忘れたのだけど近所に住んでいた学校の先生がいてその娘(一つ下)に猛烈アタックを食らったことがあった。

多分、それを親は面白がって(今ではなんとなくその気持ちは分かる)僕らを遊ばせた。

言語化しがたいのだけどディズニーアニメにおけるハートを量産するメスの豚のキャラクターのように迫ってくるので『おえっ』となってしまった。

うちの畑のヘリのブロックに座って早く帰りたかった。


これが最近思い出したこと。

そうやって迫ってくるものを心地の良いものと感じれない場合があるのはその頃から変わっていないのだなと思った。

それが今にも影響している自分の難しい性格を形成していると思う。



2025年10月2日木曜日

























九月が通過したのを今日感じた。

ブログを何も書かなかったから。


ギリSNSでその通過の速度を遅くさせている錯覚をしているだけで実際は変わらない。

それは形容詞で装飾したとして事実は、現世は、何も変わらないのと同じだ。


読点は打てども句点は打てず。

この時間の流れは読点の連続であり、息を引き取ってやっと句点が打てる。

本当はその打つすべての句点が嘘なのだと思う、


そして、うんざりしているのだ。