世間はもっぱらバンクーバー方面を向いておりますが
4年に一回っつー事はオリンピックって太陽暦よりなんですね、アテネ。
今NASAが一番力を入れて取り組んでいる命題『世界中から比較という考え方を排除したらどうなるか?』
オリンピックしかり、現代社会はとにかく一まとまりにしたものに順番をつけ一番を決めたがります。
ただ、人や物、場所などありとあらゆるモノはこのランキングの前に宇宙空間に存在しています。
比較という概念はその存在に付加価値をつけていく…例えば
『フィギアスケートが上手な真央ちゃん』から『フィギアスケートが世界で一番上手な真央ちゃん』へ価値をあげていく事になるのです。
さて、金メダル奪取の瞬間に当の真央ちゃんにとってはどんな変化があるでしょうか?
「少しバストか大きくなったわ。」とか「アレルギー性鼻炎が良くなった。」とかそんな事はまず無いでしょう。
あくまで付加価値に関して、現代社会における(過去の歴史なども含め)相対的な価値なのです。
明日の一面で「真央ちゃんドーピング!」の見出しが出た場合、この相対的な価値はガタ落ち。
職場で「私、真央ちゃんが一番好き!」と同僚と話をしていたOLは「真央ちゃんサイテーだよね」の発言と同時に昨日の『浅田真央選手を好きだった自分を全否定する』に至るのです。
つまりここで何が言いたいかと申しますと相対的な価値と真価は混在しているという事でこの相対的な価値を比較が生み出していると言うこと。
そして今後豊かな生活を送っていくためにはこの真価を見出す力が現代人には必要になってくるということです。
まやかしに喜んではいけない。
NASAの研究に置いてネックになっているのは『比較しない』と『比較する』を比較しなければ研究が進まないという事で、比較という手法を完全に避ける形で研究結果に辿り着こうと考える『完全比較撤廃派』とあくまで比較をしつつ比較をしないための考え方をあらゆる角度から研究し答えを導き出そうとする研究員とで対立が発生している状態です。
一言に比較言っても比較によって進んできた歴史や単純に値段の比較、哲学など思想の比較などその種類は多岐にわたります。
今後、この場をかり出来るだけ多くの角度からこの『世界中から比較という考え方を排除したらどうなるか?』という命題を独自に研究、整理して行こうと考えています。
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