2020年4月21日火曜日

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共通する誤りたる想念

声を上げるのと怒りを露わにするのは違う。
怒っている時、人の話に聞くことは難しく傷つけてやろうとか論破する事に必死で問題を解決したり鎮火するにはどうするかと言う話では無くなってしまう。
怒っている時大抵自己満足に向かっている。

ジシンの巻 九帖より抜粋
善のみにては力として進展せず無と同じこととなり、悪のみにても また同様である。故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。何故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。

悪が存在しない世の中は存在しない。
『悪を憎むのが悪』『悪は抱きまいらせよ』と度々日月神示には出てくる。
そういう意味で最近の標的にされている動画は逆に人間が憎しみの感情を増大させるための罠のように感じます。

しかし抱きまいらせるのは自分の成長なければ実現しない。
だけど言い放ってそれで終わっていたら、自分が正しいと思っていたら今の現状が変わるのかなと思います。
自分が恥ずかしくなるぐらい綺麗事を申し上げておりますが向かう方角さえ間違っていなければいつか到着すると信じています。

2020年4月14日火曜日

LANGUAGE L/S T-sht




































無言





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KNEES L/S T-sht



































サルエル的に言ってつまりボトムスにも成り得るという事だろう。
だけど発端は『肘に膝とプリントしたい。』この一心である。

The Bee's Knees.
素晴らしいとかCOOLとかまあいい意味です。
簡単に言うとSUPREMEと書いてあると思って貰えればOK。
調べるとなんでハチの膝が素晴らしいのかはっきりしない。
元は『取るに足らない』とか意味とかbusineseから来てるとか色々出てくるが定かじゃなくてまたそこが良い。
あと、一回音読してほしい。結構気持ちいい音。

とかってちょっとマトモを匂わせておきつつ結局は『膝に肘』を強調しました。
Kに組み込まれた膝&黒はパフプリントというまあまあアメージングなバランスを樹立しております。

白、アッシュボディの2色展開。


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2020年4月1日水曜日

勧誘





























今年はエイプリルフールに間に合わせのネタも思いつくことも無く日付が変わりそう。
何にも出ない時は出ない。
それで良いと思えるようになってきた僕はあと少しすると40歳。

この前のMY AMBIENTなる文章を読み返してみてほのかな恥ずかしさと言いたいことをカッコよく伝えるのは無理だな&止めようかなという感想。
とは言え赤裸々に語ると言うのもその才能が必要だと思う。
でも試みる事はだれでも出来るとも思いましたのでしたためます。


日月神示に最初に触れたのは長男が産れた前後だったと思うのでたぶん読み始めて6年位。
最初からガッツリという訳では無く徐々に魅かれて言った感じ。
何しろビギナーには難しかったので現在進行形で何度も読んでいる。
それとその流れで聖書も一昨年の秋ぐらいから聴いている。
通勤の行き帰りに僕のイヤホンから流れているのはハウスミュージックではなく実は福音書。
まだまだ肚に収まってきたとは言い切れないですがそろそろ口を開くタイミングかなと自分では思ってこんな感じです。

これだけ聴くとただ宗教にハマった心の弱い奴と反応が返ってくるだろう…。
そんな不安が今までの自分にはあったし今も無い訳ではない。
なぜこうなる経緯に至ったか、それはそれなりに理由があってそれが上手く伝えられたらなと思っていたのだけど何度も取り組んでは没にする時間の無駄を感じてしまったのです。

因みにだけど何処かの教会に行って集会に参加しているとか教祖がいる団体に所属している訳ではない。
例え少しでも神様で金もうけをしている人はアウトです!
自分⇒宗教団体⇒神様が一般的な宗教のイメージだと思うのだけど僕が自分でやっているつもりなのは 自分⇔神様 もしくは 自分⇔日月神示、聖書⇔神様 みたいな感じですかね。
その辺が自分では新しいなと思っています。

あと自分的には政治とか社会問題に取り組んでる人と同じような気持ちもある訳で自分の声は遠くの政治家には届きそうもないし政治は社会に対して一時的な絆創膏みたいな役割は出来ても完全治癒という事は不可能なのではないかなと感じた結果、自分をまともにしようとシフトチェンジしたつもりです。
話しがちょっと逸れちゃうけど僕がもっていた政治への怒りって『ばれなきゃ大丈夫』みたいな侮られてる気持ち悪さにあって、その『ばれなきゃ大丈夫』みたいなことを自分がしていなかったかと言うとそうでも無くて、人差し指を指したら3本はこっちを向いていたことに気が付いちゃった的な。


日月神示では「改心急けれ」イエスキリストは「悔い改めよ」と言う風に一致する部分も多い2つの書物です。
結局この現代に必要なのは個々のそれでは無いのかなと思う今日この頃。
自分としては自分が愚か者だからこそそこに気が付いちゃったと思うしそんな愚か者に言われても腹が立つと思いますが僕が言ってるんじゃなくて本に書いてあるんです。
悪しからず。

結局何が言いたいかといいますと『日月神示』『聖書』ともに読んでみてくださいと言う事。
そこの社会を憂うあなたならきっと僕より理解できると思います。
自分で読んだり聴いたりする事にも意味が隠さられているように感じていますし。
で、滅茶苦茶奥が深い。奥の細道です。
両方ともネットで検索すると出てきます。
何ならワードのデータ送りますので連絡ください。

susput@gmail.com

思いっきり勧誘?(笑)