2011年8月9日火曜日

Music is Love後記

大して仲良くもない学生時代の同級生と3年前の新宿に引き続き渋谷発中央林間行きの電車で鉢合わせた事は何か良い流れを暗示させた。
という訳で日曜日の僕は東京にいた。

二子玉川で待ち合わせた肉付きのいい彼は朝6時に連絡を取った時にはカメラマンの彼と居酒屋に居たので案の定ベッドで沈黙を決め込んでいる様でかまわず自宅に直行便。
寝起きにも関わらず針を落とすのはバイナルジャンキーたる所以。
座ったり立ったりして体を揺らす内にアイデアが積乱雲の如き。
いろんな意味で東京でのテーマは『長く遊ぶ』。キーポンなんチャラと言う訳です。
それで用賀に駒を進め表参道直行便。
僕は今回3年ぶりに神様の呼び声高いDAVID MANCUSO "デイビット・マンキューソ"のパーティにそのパーティの一細胞としてうかがったのです。

早め早めの予定通りに会場に着くと5本のクリプチに囲まれたダンスフロアはすっかり群衆に覆われていました。
とにかく嬉しかったのは沢山の見慣れた懐かしい顔に出会えた事です。
ココでしか会わない人を友人と呼ぶのか分かりませんが自分が楽しくて感じまくっているのは音楽も含めた雰囲気なのでそこに居る人を特別に感じます。
Dancing or Talking or オシッコが途切れなくエンドレス。
そしてそうしている内にめいいっぱい人の詰まったダンスフロアは物凄く人間的に揺れていて自然界の波には無い波になっていてそう言う名前の動物みたいになっていた。ように見えた。
何が良かったかって兎にも角にも雰囲気だ。
それを作り出すにはプロセスが必要でこのPARTYはそれを愛と言う言葉に置きかえる事が出来る。
だけど何処で誰のどれだけの愛がそこに加わっているかを論じるのはナンセンスなので雰囲気が最高だったとしか言えない。

DAVIDはミックスをしない。
だからその一曲と一曲の間隔をフロアの人々は頭の中で勝手につなぎ合わせて膨らんでいく。
サイケデリックという言葉があるが脳が美味しいというこの言葉は正しく使うならこういう事なのではないだろうか。
そうに違いない!
あー美味しかった!が適当となります。
7時間近く経て音が鳴り止んだ後も帰ろうとする気配をうかがう事が出来ませんでした。

社会の欲望をまとめるとまず『生きる欲求』があって『性的な欲求』があって次に『権力に対しての欲求』がある様だし自分もそれを感じるけど前者3っつを超えると『慈愛』が構えている。
3っつ目から4っつ目への壁は分厚く険しいから社会のバランスは3っつ目で止まりがちでそのバランスが変われば勿論大体の社会が抱える問題は解決するんじゃないかと思うのだ。
なぜならそれは問題を解決するためのものでは無いから。
誰もがDAVIDの様になれる訳ではないですが少なくとも慈愛と言うモノを理解しようと取り組むことは出来るはずだなと思ったのがそんな経た経たDAVIDのDJを体験した今回の感想です。






















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