2010年12月11日土曜日

現象と心象

私の名前は観察者。
現象と心象の間に位置する存在。
あらゆる自然現象は何物かによって観察されねばその事象が記録される事は無い。
私の名前は観察者。
あらゆる現象は私のように中間に位置する者の目によって観察される事によってのみその存在を未来に残す事が出来る。

君はコーラリアンを知っているか?
コーラリアンと呼ばれる存在について我々が語れる言葉は少ない。
誰もがそれを幽霊か化け物の様に語る。
しかし、実際はいずれにも当てはまらない。
コーラリアンを前にして我々が持つ語意は圧倒的に少ない。
君はコーラリアンを知っているか?
もし我々に今の我々以上の語意が備わったとして、しかしきっと我々にはそれを表現できないしその感じ取ったモノを分かち合う事も出来ないだろう。
我々はコーラリアンの前では圧倒的に無力だ。

我々は言葉を持たないに等しい。

言ってしまえばそれは砂漠のアリが大空の先にある物を語るに等しい。
しかし伝わらないからと言って表層だけを語り本質から逃げると言う行為に満ち溢れた世界でそれに則って言葉をつむぐ事にいったいドレだけの価値があるだろうか。
伝わらないなら伝わる努力をするべきだ。
その努力をしたくないなら永遠の沈黙をもってこの場から立ち去るべきだ。
それを彼らは証明していた。

大波を待つライダー達にとってそこに存在する事が全てを言い表していた。
全ては体験を通して語られる。
すでに用意された安易な言語でしか表現できない彼らは、その安易さを元に持ち合わせた深い真実によってそれをあえて言葉として表現する。

何を語る?
真実を。
しかしそれはあまりにも浅い言葉でしかない。
それを人は陳腐な言葉の羅列として蔑むであろう。
しかし真実など誰が分かる。
目の前で起こった現実に対して高尚な言葉で語ること、それこそがその現象を矮小化させている。
現象は現象でしかない。
現象を語るには現象になるしかない。
しかし我々は現象そのものになる事は出来ない。
現象は我々以外のところにあり、我々以外のところから発生するものだからだ。

そうなのだ!
現象は俺達が居なくても起こる。
ただ、それを目撃した者には何かを残す。
それがその者たちにとって傷となるのか、はたまた糧となるのか…

それすら波には関係が無い。


-RAY-OUTより-

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