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2013年5月2日木曜日

エンデの遺言

随分前に大阪に行ったときの事。
ボクのT-shtを置いて貰っているCLAZYMARKETにお邪魔した。
そこで以前から気になっていた能勢伊勢雄さんの展示のパンフレットを手にとったが内容の難解さに思わず購入。
それでその足で回った各地への移動の間、それを眺めていたのだがともかく知らない単語ばかりでなんの事やらさっぱり分からなかった。
家に帰って付属のDVDをみたのだがそれでもやっぱり分からない。
それでボクはあきらめてしまったのだけど今度はパンフに何度も出て来るルドルフ・シュナイターさんの『ルドルフ・シュナイターの美しい生活』をなんとなく購入。
今となっては何が書いてあったのかすっかり忘れてしまうほどやっぱりさっぱり理解が及ばなかったのです。

それから大分たった最近、CLAZYMARKETでこんな本が出ていたのでもう一度能勢さんの事を嗅ぎ回っていたらやっぱりシュナイターさんにつながり今度は著書『モモ』で有名なミヒャエル・エンデさんにたどり着いたので少し驚きました。
それで見つけたのがコレ。






で、このNHKの番組の解説的、エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」を読み終わったのでこのポストをしている所です。

『モモ』を読んだ事がある人には特にオススメです。
ボクも経済がどうとかよく分かりませんがそう言う人でも今のお金のシステムのどこに問題があるか分かるような内容だと思いました。





                




マ
ジ
メ
カ
!

2010年12月11日土曜日

現象と心象

私の名前は観察者。
現象と心象の間に位置する存在。
あらゆる自然現象は何物かによって観察されねばその事象が記録される事は無い。
私の名前は観察者。
あらゆる現象は私のように中間に位置する者の目によって観察される事によってのみその存在を未来に残す事が出来る。

君はコーラリアンを知っているか?
コーラリアンと呼ばれる存在について我々が語れる言葉は少ない。
誰もがそれを幽霊か化け物の様に語る。
しかし、実際はいずれにも当てはまらない。
コーラリアンを前にして我々が持つ語意は圧倒的に少ない。
君はコーラリアンを知っているか?
もし我々に今の我々以上の語意が備わったとして、しかしきっと我々にはそれを表現できないしその感じ取ったモノを分かち合う事も出来ないだろう。
我々はコーラリアンの前では圧倒的に無力だ。

我々は言葉を持たないに等しい。

言ってしまえばそれは砂漠のアリが大空の先にある物を語るに等しい。
しかし伝わらないからと言って表層だけを語り本質から逃げると言う行為に満ち溢れた世界でそれに則って言葉をつむぐ事にいったいドレだけの価値があるだろうか。
伝わらないなら伝わる努力をするべきだ。
その努力をしたくないなら永遠の沈黙をもってこの場から立ち去るべきだ。
それを彼らは証明していた。

大波を待つライダー達にとってそこに存在する事が全てを言い表していた。
全ては体験を通して語られる。
すでに用意された安易な言語でしか表現できない彼らは、その安易さを元に持ち合わせた深い真実によってそれをあえて言葉として表現する。

何を語る?
真実を。
しかしそれはあまりにも浅い言葉でしかない。
それを人は陳腐な言葉の羅列として蔑むであろう。
しかし真実など誰が分かる。
目の前で起こった現実に対して高尚な言葉で語ること、それこそがその現象を矮小化させている。
現象は現象でしかない。
現象を語るには現象になるしかない。
しかし我々は現象そのものになる事は出来ない。
現象は我々以外のところにあり、我々以外のところから発生するものだからだ。

そうなのだ!
現象は俺達が居なくても起こる。
ただ、それを目撃した者には何かを残す。
それがその者たちにとって傷となるのか、はたまた糧となるのか…

それすら波には関係が無い。


-RAY-OUTより-

2010年8月19日木曜日

実はマッサージ器よりバイブが先

本を読むと眠くなる眠くなる。
現在進行中はフロイトの『夢判断(上)』
これがまたとても読みにくくて実際一度挫折している。
しかも図書館で借りた本を通勤途中のバックの中でお弁当フレーバーにしてしまい返却を拒否された挙句、図書館の貸し出し権利まで剥奪された。
新しいのを返すとその意地悪を止めてくれるらしく一年の時を経て、今amazonにて購入したのだがすぐに返すのは惜しいのでゆっくりと読み進めている。

サバ寿司の断面に例えてサバ側を表紙の方とするとまだ酢飯にも届かないぐらいしかページをめくる事が出来ていないが、まーとも書く題材は夢の話で夢っつーのはどうやって見るのかという事を沢山の文献を引き合いに出して説明してくれている。
で、やっぱり本当なのかなぁ?と疑問に感じながら読んでいると眠くなってきて案の定、意識を失ったりする訳だ。
今朝見たのはGOLDEN MISUNDERSTANDINGの2人と今なら0秒で耐震なんチャラに引っかかりそうな旅館に居て、とあるピンチに遭遇するという話だった。
夢の中でもキャラ設定はしっかりと守られていてやっぱりヤラカスとこでしっかりやらかしてくれました。
本来ならかなりナイスだったんだけども…MR.裏目とでも呼ばせてもらおうか。
気のせいかも知れないがこの手の旅館ストーリーが僕の場合比較的多い気がする。
後、同じようなネタのピンチが多いなぁ~。焦るぜったく。
しかし今朝の旅館は建物の木の色が焦げ茶でカッコ良かった。
通っていた小学校みたいな色でそのセイで外の景色もカッコ良く見えた。アルミサッシじゃねーもんな。
の割りにロビー周辺は『ホテルニューマツオ』的なカーペットの上をスリッパで歩くノリだったりする。
これは修学旅行の衝撃なのだろうか?
分かりませんので続きを読みます。

この本のセイでここ2日は寝まくり。
今、僕はここ数年で一番健康だと思う。



2010年6月15日火曜日

ボン

今夜、街に出てみるといつもの客引きのにーちゃんは居ないし妙にひっそりとしていた。
商店街の裏手の道には物々しい車とどうやって時間を潰したら良いのか分からない様子の割と年配で日常生活不詳のおっさんが立っていた。
これはもしかすると駅前の商店街の規模感に対して明らかに過剰なキャバクラに本業の方々がオシボリのお金を集金して回っているのでは?と勝手に決め付けて家に戻る。

最近、天気の悪口は言わないように心がけているのだがこの湿気にやられてプリント中の紙がフニャルのは勘弁願いたいものだ。
そうです、男はサンダル、女は長靴の季節の到来です。
そんな訳でこの長雨をサクッと切り抜ける読書本のご紹介。
読書とはまさしくサイケデリックなお遊びの極み。
文脈からモリモリと情景や動作を想像して楽しんじゃってください!癖になります。


と、まずはコイツ。
『リトルトリー』


















丁度一年前に読んでいたと思われるこの本は内容は正直、はっきりと思い出せませんが両親を無くし祖父母に育てられたインディアンの少年の話。
大柄で無口な祖父は日常を通してトリーと言う少年に真理とも取れるインディアンの知恵を教えていきます。
まーとにかく解釈を深めていくとそーとーヤベー本です。
キーワードは「I kin ye」
つまりこれはアガペーっつ事で愛の究極っつ事ですね。
つ、事は「なかなか好きな人が見つからない。」とか「付き合っても長続きしません!」やら「8年目になる夫婦生活にそろそろピリオドを打ちたい」的なオタンコナスにオススメです。

作者のフォレスト・カーターは48歳で作家活動を始め58歳で急死。(情報横流し)
うむ。open endとはこの事。

何年か前に浅野忠信やらEYヨさんとかが出してたイラスト集が確か『トリー』だった気がするけどここから来てるんでしょうか?
謎のままで良いです。



そして今日紹介する2冊目はコチラ。
『荒野へ』

















かなりしつこいですがこの間紹介した映画『Into the wild』の原作本です。
映画はクリストファー・ジョンソン・マッカンドレスについての内容ですが、原作はこのクリスの影響を受けた人物や作者のジョン・クラカワーの実体験に脱線しまくります。
しかし、このジョン・クラカワーもめちゃめちゃサバイブしている猛者で登山の虜。
これ読んでると「俺、全然死にそうじゃないな」とまあ感じてしまう、ある意味クリエイティブな思考が自殺志願者とリンクしているそのジョイント部分を垣間見える一冊です。

ちなみにまだ読みかけ。





なるほど!今日はみんなサッカー見てたのか!本業の人もみんな!