ちびちび読んでいた『意識の中心』は遂にエピローグに辿り着き背表紙を閉じるに至った。
マット加工のカバーはちょっと油っぽくなっていた。
ジョン・C・リリー著のこの『意識の中心』だが、内容は世に言う悟りの探求に関しての事だ。
この本がフンフンと理解できる人はもうこの本は必要ないかもしれない。
このむっちゃ頭の良いおじ様の悟りの体験談な訳なのでデコから角な僕はなんパー理解できたのかすら分からない。
だけども、実はこの愚ログを読んでくれている内の幾人かはその悟りという物を体感しているように思う。
僕がSPUTと呼んでいる物もそれに近い気がするし、この本に書かれていた悟りの状態に僕も思い当たる節がある。
悟りにはいくつかレベルがある様なのだが、どんな仕事でも創造的な遊びでも夢中になって気がつかない内に時間が過ぎていたというような経験が専門家的サトリとか基本的サトリと名づけられていた。
これはほとんどの人が体感したことが有るのでは無いだろうか?あの楽しい妙な感じも悟りなんです。僕の解釈が間違ってなければ。
以下、『意識の中心』より抜粋。大分端折ってます。
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人は良く長い間自分が山を登っているような気分になる。
自分がしてきた事や自分のしている事に自ら険しい斜面を生み出してあたかも自分の人生が徳の高い物であるかのよう様に見せかけ、お金や文化の状況を基準にして他人を責める。
「私を見てくれ__どんなに高くまで上ったか見てくれ!私は君よりも高いところにいる。もしも、きみが私よりも高いところにいるとすれば、それは私が君よりも低いところから登り始めたからで、実際には、君よりもたくさん登っているのだ。私の山こそが最も険しいのだ」
だけども自分の人生を振り返ってみても後ろには斜面など存在しない。記憶の中にはある惑星の表面を這いずり回った記憶しかない。
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物質社会、情報社会を即座に粉砕しそうな、それで居て自分も陥ってしまいそうなドゥンと来る段落。
偶像礼拝的に他人に抱きそうな山もここに含まれるように思います。
考えれば考えるほどプカプカと浮遊しそうですね。みんな裸んぼ。わーすごい。
今、きょろきょろと辺りを見渡してしまった僕は不正解!目を閉じたあなたは正解です!
と言う本日は2枚の新作が誕生。
ちょっと楽しみにしてて欲しいです。
次は何を読もう?
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